近況
最近日常生活の改善を実感しているマサキです、カードゲーマーなのに3連続でその他の話題ってマジ!?
ここ数ヶ月ツイート数激減しているのに加えて、生活絡みの話しかしてなかったんですけど、細々と遊ぶ元気は保っていますので体調を崩したとかの類ではないです。
俺とツイッターで繋がっている方々は大抵カードゲーム絡みの人ばかりで、全くもって不必要な日常や社会活動の話がメインになっていって申し訳ないのですが、何か話をしていないと病気にでもなったのかと心配されるのが嫌だったんですよね…
クソどーでもいい話題ばかり呟き続けるのも前々から罪悪感を感じていたので、去年あたりからの生活変化を自分のまとめも兼ねるのもありますが、タイムライン汚しを減らすためにブログ活用します。
【去年】
《コロナに感染》
感染リスクを考慮してカードゲームは控え気味でしたが、それでも感染してしまいました。
報告も近々に遊んでいた人に対してという程度でした、重症化一歩手前で行動が限りなく最善の形で尽くせたのが不幸中の幸いで、下手すると死亡リスクも考えられていたって言われてヒヤッとした。
報告が最小限だったのは死にかけていて身体も精神面も余裕無かったからです、実際退院後も体力が大幅に落ちて翌月まで遊びも就労移行の活動どころか、買い物すら道中座り込むし膝も地面に落とすレベルでまともに動けなかった…
《就労移行の事業所に入所》
部分的には話をしてたんですけど、秋頃に都内の事業所に正式に入所しました。
それまでもアルバイトを辞める度に障害者への支援機関やハローワークの助言で色々見学や体験、利用もしてはいたんですけど、3ヶ月も耐えられていませんでした。
社会的な繋がりの経験がスーパーでのアルバイトしか無く、障害者就労支援の事業所というのは配慮はされていても、どういう活動をして目指していく目標も何もかも分からないことばかりで、自分の居場所として認識出来ず不安が募っていく日々でした。
結果、繋がりとしてはスーパーでのレジや品出しのアルバイトに依存してました、コミュニケーションが苦手だったりネガティブになりやすい精神疾患抱えていて長く続く仕事では無いことを承知の上で、経験があることをベースに探すとこれしかなかった…
今お世話になっている事業所も見学〜体験までのステップまでは進んだものの、やはり不安が少なからずあったので、当日休むこともありました。
親や事業所の所長、保健所の担当保健師、カウンセラーといった多くの方々の説得もあって、足が重かったのですが再び体験といった形での再スタートのチャンスを頂けたので、無事に正式入所までたどり着くことが出来ました。
多くの人々を長い時間巻き込んで申し訳なさもありましたが、今前向きになれているのは間違いなく俺を心折れずに説得してくれたおかげなので感謝してます。
《入所後〜去年年末》
ここから事業所の話が中心。
まず慣れないのが1番の障壁、活動内容や勉強自体は難しいことではなかったのですが、居場所としての認識が相変わらず出来ずにいました。
それでも前述のような形で不安で休むことは無かったです、他の事業所と決定的に異なる点として居心地が悪くなかったので、懸念点が居場所としての認識が無かったことだけでした。
何よりも職員や他の利用者さんといった人間関係に恵まれていたかなと、苦手意識が何かしらあるという人がいなかったのが大きかったです。
時期的な関係で環境に慣れるより前に所外活動や年末行事といったイベントが目白押しで、緊張や不安も抱えていながらも1つ1つ楽しめたのは事業所に対しての『慣れ』に結びついたのだと思います。
《今年年始〜年度の切り替え辺り》
『慣れ』という実感は出来たものの、交流に四苦八苦していました、休憩中とかスマホで暇を潰していただけ。
1月中旬に遊戯王マスターデュエルが開始され、休憩中に遊んでいたところを他の利用者さんに声を掛けられて時々遊戯王の話をするように。
その人をきっかけに利用者さん達の『輪』に招いてもらえるようになりました。
その輪の中での誘いでamong usを共に遊んだり、雑談も少しずつ入れるようになりました。
その方は退所してしまいましたが、今の自分が事業所を居場所として認識出来るようになったきっかけはその人なので、退所する前に話をもっと出来たらよかったと後悔と言うほど大袈裟ではないですが心残りがあります。
《年度切り替え〜梅雨時》
『慣れ』と『輪』は実感出来たものの、依然として積極的ではないというか、話しかけられてからようやく会話に混ざるという過ごし方でした。
自分含め、トラウマだったり過去に苦労があった人たちが良い形での社会復帰を目指していく場所なので、俺としても距離感を臆病に思われるレベルで慎重に探っていました。
自分から会話に混ざることに抵抗感があったのは嫌な思いをしてほしくないという考えが根強く存在していて、自分から話題を作ることが難しかったです。
自分から話すことが苦手ということを察してもらえたからか、積極的に話しかけてくれる利用者さんがいました、そのおかげで輪の中に『浸透』していくことが出来るようになりました。
『浸透』していったからこそ、おしゃべり1つにスポットを当てても、朗らかに楽しく明るくなっていったと思います。
俺の場合、自分から話をすることが不安で苦手なだけで、話しかけられて話す分には抵抗が少なく、第一印象でコミュニケーションの障害があるとは思われにくいみたいです、正直言うと本当に精神障害あるの?って言われるのは結構な苦痛。
前も話したけどカードゲームをメインの趣味にしているのもコミュニケーションツールとしての側面もあるからです、自宅で引き籠もって対戦相手と対面しないゲームだけだとコミュ障が加速してた…
今年上半期まではこんな感じ、話をしたいと思ったら下半期も続きで書くと思います。
今まで自分自身の障害絡みの活動の話はあまりしなかったのですが、俺としても話をすることに躊躇があったんですよね。
躊躇をしてしまうと言うことは、自分の活動や生き方を恥じていたのだと振り返ってみると感じています。
だけどそれらを恥じているということは自分自身だけではなく、自分を取り巻く環境を恥ずかしいことだと思われることに繋がる可能性があったからこそ、今こうして恥じることなくブログに書き連ねています。
嫌な目で見られるのが俺だけだったら許せるのですが、事業所を、事業所の方々を、果ては俺と同じようなトラウマや人生を送る人々の生き方を恥だと思われたくなくて、話すことが出来る範囲になりますが拙い文章で記事にしてみました。
FEサイファのジルのスキル名が今更ながら身に沁みている、『己に恥じぬ生き方』って素敵なスキル名よね…